東大入試を歪めるもの
世間で入試に関心があるのは誰か?それは、受験生とその親だろう。
それらの人々は、「できるだけ少ない努力で、できるだけ良い大学、すなわち東大に合格したい」と思っているかもしれない。その気持ちは人情としては分からなくもないが、その気持ちが東大入試をいかに歪めてきたか、そして、いまでも歪めていること、その結果、多くの受験生が、まったく要らない苦痛を味わっているか、ということについて、かいつまんで説明したい。
まず、今の東大生の多くはTVに、それも下らぬTVに出演して、クイズができることが東大生の証であるかのように振る舞っている。そして、世間も「多くの情報をうまく覚えることが、頭がいいことだ」などと思ってしまう始末だ。そのようなクイズ王などは、犬にでも食わせてしまえばよいのである。東大構内の猫の方がはるかにマシな知性を持っていることは請けあえる。
さて、多くの大衆の下世話な勘ぐりのために、近年では東大は入試の結果を開示している。これには、しかし、裏がある。東大入試には、いつも、こうした公然の秘密がある。合格点が、およそ総点の6割程度になるように、採点をしているのである。
何のことか分からない人がいるかもしれないので、もう少し説明しよう。仮に、世間様に向かって「ご意見無用だ。どんな試験問題を出し、どのように採点しようが、採点を公平にやる以上、文句を言ってくれるな」と東大が言えばどうなるか?合格最低点は、おそらく、総点の2割程度になるだろう。得点開示が行われていなかった時代には、それでよかったのであるが、現代では、メディアなどが、提灯をつけて騒いでくれるので、みかけ上は、「普通の」得点が出ている<かのように>、点数を振る舞わねばならない。
これは、(1)採点基準を緩和して、点数を配給する、(2)問題自体を易しくして、厳密な採点をする、という2者択一の結果、東大は「なんとか問題の難易度を下げず、採点を緩和することで、世間の批判をかわしつつ、入試問題の質を維持したい」という苦肉の策なのである。
世間が「勉強しないで、東大に入りたい」と、東大入試の狙いや内容を信頼せず、分かりもしないのに評論をすればするほど、東大の入試の在り方がゆがみ、それが、結局、日本の受験全体に、影響を及ぼすのである。その影響の多くは、教育的に見て良いとはいえぬものである。
ではどうすればよいか?「誠実な努力をして、大学へ入りなさい」ということに尽きる。大学は勉強したい者が行く場所であり、「できるだけ勉強したくない」なら、大学へ行かねば良いのである。大学は行かねばならぬ場所ではないのだから。