歪められた東大入試の姿

東京大学は、研究機関である。研究者を養成し、優れた学術研究を通じて、社会に貢献することが使命である。その多忙な研究生活の合間を縫って、教授たちは、入試問題を作成する。その作成は5月の、今年度の入試問題の実績と、予備校などの発表する模範解答例などの反応を踏まえて、次年度のための作問方針を検討する。

ここから、年末まで、複数の問題案と、作問教授以外の教授が模擬的に解答してみて難易度などの調整を行い、世間の出来事や、予備校などの模擬試験との類似出題の有無などを考慮しつつ、決定稿が定められる。

このような膨大な人件費と時間をかけて、教授たちが作問するのはなぜだろうか?

「そんなことは考えたこともない」というのが受験生の本音だろう。それは、入試問題を「いやなもの」「さけて通りたいもの」と思い込んでいるからであり、それこそが、世間の誤った考えに染まってしまっているということなのである。

悪く捉えるので、あなたにとって悪いものになってしまう、ということは、人間にとって普遍的現象だろう。

想像して見て欲しい。多忙な研究、学会活動、学生指導の激務の合間に、試験を作る教授の想いは何か?

それは、「研究を継承し発展させる志の高い学生に、こういうことを準備して来て欲しい。これだけは伝えておきたい」という真摯な思いである。あなたが東大の学生になるまでは、教授には直接、教えを請うことは、本来できない立場なのである。しかし、畏れ多くも、未熟な高校生のあなたに、東大教授は、自ら手を動かし、筆を執って教えてくれているのである。

それを、なんとか業者の拵え揚げた答案を憶えてやり過ごしてやろうということでは、全く申し訳が立たないではないか。

1)市販の答案例や解説は、ほとんどが、正解からはかけ離れている
2)間違いだらけの答案の続出のため、東大は採点基準を緩和して対応している
3)そのため、市販答案のような答案で良いものと誤解する学生が、見当違いの答案を再生産している
4)結果として、受験生の勉強の方針自体が、あやまった目標に向かって設定され、本来養成すべき学力を持たぬ学生が東大に溢れている

という現状を見るにつけ、東京大学が、社会からの本来の要請に応えられるように、正しい指針を学生に伝えなくてはならないと、私は考えるに至った。

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