一橋大学 世界史 1997

キリスト教は、4世紀末にローマ帝国の国教となることで、その後のヨーロッパの 歴史に多大な影響を及ぼした。しかし、その現実は決して単純なものではなかった。教会そのものが完成された組織とは言い難く、その分裂の事態は帝国支配のはらむ政治問題でもあったからである。その間の事情を4~5世紀のローマ帝国の政治・社会状況に即して、以下の用語を用いながら述べなさい。その際、ローマ帝国と東方属州地域との政治的関係に触れること。なお、用語を最初に用いた箇所に下線を付しなさい。(400字以内)
 テオドシウス帝 五本山 単性論 カルケドン公会議

ネット上に以下のような的外れのコメントをみつけた。

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コメント【1】 わかりにくい要求です。「教会そのものが完成された組織とは言い難く、その分裂の事態は帝国支配のはらむ政治問題でもあった」という問題設定の下で、「4~5世紀のローマ帝国の政治・社会状況に即して」この問題を解説せよ、ということらしい。さらに判りにくいと出題者も意識したのか、無くてもいい副問(副次的要求)の「ローマ帝国と東方属州地域との政治的関係に触れること」としつこい感じの文がくっついています。ローマ=カトリック教会とギリシア正教会に分かれてしまうことと、ローマ帝国が東西に分裂することは、たしかに一致した面があり、それが政治・社会問題、かつ状況と関係していることを説明しろ、ということです。ローマ帝国の東西分裂がたんなる政治的分裂だけではありませんよ、経済も文化(この場合は宗教)も関係していますよ、という、実は論述問題としてはありきたりの問題なのです。

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これは、カルケドン公会議で、カルケドン派(単性説:ローマ=カソリック、東方正教会)と非カルケドン派(合性説:アルメニア使徒教会、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会)に分裂した。この分裂は、当時のローマ帝国が、西側(東西ローマ)と東方属州では、経済・文化共に後者に比重が置かれていたというように、差異の大きい状態であったことが背景にある、という話しである。
どうして、こういう基本的な問題について、ローマ・カトリックと、ギリシア正教会の分離のように捉えてしまうのであろうか?現実には、キリスト教は東方世界起源の宗教であり、東方世界のキリスト教のあり方を研究することは、重要。イスラム教などの圧迫によって、これらの伝統が消滅しないように配慮を求めることも重要。

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